ヴィーガンについて

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ヴィーガンに対して何百回何千回となされた反論として、「意識を何に還元すんだよ!?お前らの直感だろ!?」というものがある。これは確かにそうだと思う。これに反論しうると思う人がいたら是非話を聞いてみたい(皮肉とかでなく)

蚊だって意識があるかもしれない。なんなら無機物だって。どの現象が発生したことを意識発生の根拠とするのか。意識は客観世界に転がっちゃいない(この辺の哲学的な話は本題から逸れるので省く)のだ。

ここで「良識」というものがあるだろうという風に反論するヴィーガンを良く見かける。個人的にはこれはあまりよろしく無いと思う。直感じゃねえーか!って反論が変わらず適用できるしね。

この反論は最強のように見える。そして多分最強なのだが、その最強な反論を受容した上でヴィーガンには道があると私は考える。

要するにこの最強の反論は「確かに動物にも人間と同じような意識があるかもしれないけど、そんなこと言ったら全部にあるかもしれないだろ!???」という主張だ。しかし、全てに意識があるかもしれないという事が、何故意識がありそうなものを救わない理由になろうか。全てを救えないならば部分的に救ってはいけないのだろうか。確かに贔屓する(食べない基準)は直感である。ここを否定してはいけないと私は考える。良識がとか常識がとかと言ってはいけない。(言っても良いがいたちごっこになるだけだ)しかし直感だとしても、意識がありそうなものが虐げられる可能性が減る訳だ。要するにヴィーガンは自分たちが倫理的で無い可能性を認めつつ、倫理的であるかもしれない可能性を増やす、というスタンスでやれば良いのでは無いだろうか。というよりかは、原理的にこのスタンスにすでに”立っている”のではないだろうか。この事を自覚すれば色々円滑になりそう。理論の一貫性、ダブルスタンダードを避けるという事を余りにも意識しすぎると、「無くせなくてもいいから、減らす」という話ができないというのはよく見かける光景な気がする。

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