1.理論
効率化と正確化とは、私の考案した個人言語であり、AはBである傾向がある(AとBに相関関係が認められる)というデータに対する態度の比較である。
効率化とは、AがBであるという傾向が認められた際に、A=Bとして扱おうという行動/態度/発言である。
正確化とは、AがBであるという傾向が認められた際に、A≠Bとして扱おうという行動/態度/発言である。
効率化には度合いがある。効率化に足るAとBの相関関係の閾値が低ければ低いほど効率化の色が強く、高ければ高いほど効率化の色が薄い。(所謂、”妥当性”とは逆と言える。)
正確化にも度合いがある。正確化に足るAとBの相関関係の閾値が高ければ高いほど正確化の色が強く、低ければ低いほど正確化の色が薄い。(これも、所謂妥当性とは逆だろう。)
※妥当性とは逆……効率化も正確化も、色が薄ければ薄いほど、妥当な判断をしているとされる傾向にある。(この”傾向にある”という発言も正確化のために使われる傾向が恐らく、あるだろう。)
2.具体例
“人間は愚かである”という発言/態度/行動は効率化の例として挙げられる。人間を全て観察したわけでは無いから、推測であるのは勿論のこと、言う本人も人間が全員愚かだとは思っていないというケースさえある。
効率化のメリット
・画一的な対応が出来るという点
人間が全員愚かでないとしても、全員を愚かであると効率化しておくことによって、個別的に一々愚かかどうか確認する必要が無くなる。
これは少しわかりにくいので他の例を出すと、例えば”怪しそうな人間とは関わらない”というのも効率化である。怪しそうな人間が自分に利益をもたらすかもしれないのだから。要するに近似的な解を時間をかけず出すことができるわけだ。効率化は世界をデジタルにする。有限化する。
効率化のデメリット
・近似でしかない、もっと言うと、近似ですら無いかもしれない。
最も愚かしい例は、一度コインを投げて表が出たら、”このコインは表が出る”と効率化してしまうなどの例だろう。ここまで行くと近似ですらない。まぁここまで極端な例は流石に少ないかもしれないが、二回連続で表が出たら、三回連続で表が出たら、n回連続で……と回数を増やしていったらどうだろうか。貴方はどこで効率化を許すのだろう?
“人間は愚かとは限らない”という発言/態度/行動などが正確化の例として挙げられる。そりゃあそうだ。人間を全て観察したわけではないのだから。
このぐらいのデータでいいや、とデータを一般化したら効率化である。まだ一般化はできないとするならばそれは正確化に向かっている。もしくは蓋然性を必然性のように扱うか否か、という風にも言えるだろう。
正確化のメリット
・文字通り正確になっていく
傾向を傾向に過ぎないと一蹴することによって、精度が上がっていく。コインを投げれば投げるほど、コインを投げた時の裏表が出る真の確率に近づいて行くように。正確化は無限性に向かう。アナログに想いを馳せる。
正確化のデメリット
・終わらない(かもしれない)
突き詰めすぎると何も判断できなくなるだろう。私たちはどう頑張っても有限の存在で、無限回の施行は出来ないのである。”これ以上正確にならない限界”に、人間は至ることが出来ない。まぁこれも正確化すると、”出来ないかもしれない”になるが。ここに効率化の魔力があると私は考える。
3.総括
わりともっと広い意味で普段は使っているが、
大元の発想はこれである。
帰納法をどこで許容する(効率化)か
しないか(正確化)の違い。
効率化の極致はサンプル数1での一般化、
正確化の極致は帰納法の放棄とかだろうか。
メタ的な話だが、私は正確化を好んでいるので、この文章がかなり正確化寄りであることが推測できる。あと別に実在論を仮定しているわけではないです。この辺の哲学的な拡張的説明も今度したいな。
あ、あと総括だけ読んで終わらせた人います?多分そういうのを効率化って言います。
質問、批判等あれば@egzctiiionまで。
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